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2011.03.11 そこから第二の人生が始まった

岩手県釜石市。自分の生まれ育った街。
東日本大震災で多くのものを失いましたが、震災が与えてくれたものもたくさんあります。
自分たちの街を取り戻すために悪戦苦闘の日々ですが、記憶にとどめるための記録をしています。

ABOUT US

鹿野順一 Junichi Kano

1965年釜石市生まれ。
釜石市で本業の菓子店を営む傍ら、まちづくり活動を経て、2004年に特定非営利活動法人@リアスNPOサポートセンターを設立。
以降、様々な活動を行ってきたが、2011年東日本大震災により事務所を含めて被災した。
それ以後は被災地のNPOとして「被災者が主役の復興」を目指して活動を再開している。
震災後に岩手県内の中間支援NPOが連携し、設立された岩手連携復興センターの代表理事を務める。

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市民が主役の復興を目指して

2011年3月11日。
東日本太平洋沿岸地域はかつてない規模の地震と津波に襲われて多くのものを失いました。

私の暮らす岩手県釜石市も甚大な被害を受け、生業を立てていた菓子店も津波で流され、まちづくりNPOとしての活動拠点もまた被災しその瞬間から私は『被災者』と呼ばれるようになり、この街は『被災地』と呼ばれるようになりました。

商店街の仲間もバラバラに避難所暮らしを強いられ、NPO(@リアス)も活動停止する中で、私は市内の病院でボランティアをしていました。

何度目かの夜を迎えたとき、明かりを失って真っ暗な街並みの向こうに赤色灯や黄色灯が回転しているのを見ました。
なんだろうなぁ。と思っていましたが、翌朝その答えがわかりました。
日の出を迎え、明るくなった町中に入ってきたのは、復旧支援のための全国から派遣されてきた自衛隊や消防、警察の車両。そして道路をふさいでいる瓦礫を撤去するための重機を積んだトレーラーなどでした。

それらを目にしたとき、『まちづくり』を行っていたはずの自分たちが支援に甘えてばかりではいけない。NPO(@リアス)の活動を再開させよう。と思い、メンバーたちに集合をかけました。

そして、『本当に街を一個作らなければならなくなった』私たちは活動再開と同時に『被災地のNPO』と呼ばれるようになったのです。

それ以後は本当に多くの支援や思いに支えられて活動を続けています。
この震災で失ったものは本当に大きいけれど、この震災がなかったらこんなに多くの出会いやつながりは得られませんでした。

そんな日々を記録し、記憶にとどめようと思いブログをはじめました。